問題1

中城村内のある集落には、琉球国王と美女の恋の伝承があります。そこはどこでしょう?

A

奥間

B

伊集

C

和宇慶

 

伊集には与儀よぎ真加戸樽まかとだるという美女が尚穆しょうぼく王と恋仲となり妃となったという伝承でんしょうが残っています。また、その100年後には比嘉ナビーと尚灝しょうこう王の伝承もあり、尚灝しょうこう王が乗っていた馬をつないでいたとされる石が今の伊集に残っています。

問題2

次のうち、中城村内にないグスクはどれ?

A

新垣グスク

B

大城グスク

C

台グスク

 

大城グスクは北中城村にあります。台グスクは字久場にあるグスクです。中城グスクを最初に築いた先中城按司が最初に住んでいたグスクといわれています。新垣グスクは字新垣にあるグスクです。

問題3

1960年代、中城城跡は中城公園として当時の沖縄県で最大のテーマパークとして多くの人々で賑わいました。1日で最大どれだけの来場客が訪れたのでしょうか?

A

1万人

B

10万人

C

100万人

 

 中城公園は、戦後行楽地こうらくちとしてゴールデンウィークには1日あたり3万人の来場客がありました。とくに1966年5月5日は、ペンギンの登場や「第二回子供中央大会」というイベント等が行われたことから、この日だけで10万人(公園事務所発表)の来場客を記録し、当時の新聞にも大きく取り上げられました。

問題4

ハイネによって18世紀ごろに描かれた

ここはどこでしょう?

A

糸蒲(南上原)

B

中城グスク

C

ターチャー石(新垣)

 

新垣にあるターチャー石は、その奇妙な形から目印として利用されていました。ペリー奥地探検隊の一行は、この奇妙な形の岩に「旗立岩」と名付けました。絵では岩の上に旗を立てている様子と、その下で祝砲を撃っている兵士の姿が描かれています。

問題5

さち中城なかぐすく按司あじ護佐丸の中城移封いふうによって移った場所はどこでしょうか?

A

現在の久米島町

B

現在の糸満市真栄里

C

現在の今帰仁村仲尾次

 

さち中城なかぐすく按司あじは護佐丸の中城移封いふうによって兼城かなぐすく間切まぎり(現在の糸満市)に移り、先中城グスク(真栄里グスク)を築きました。

問題6

次の字名のうち、かつて中城むらと呼ばれていた村はどれでしょう?

A

添石

B

屋宜

C

伊舎堂

 

伊舎堂は17世紀まで「中城村」と呼ばれていました。しかし、王令によって中城の文字の使用が禁止された事により、伊舎堂へと名前を改めました。

問題7

中城グスクの拝所を拝んでいたとされる与喜屋ノロ(添石ノロ)は中城村の4つの集落の祈願も任されていました。この中で与喜屋ノロが担当していない集落はどこでしょう?

A

新垣

B

屋宜

C

 

屋宜は屋宜ノロが担当していました。与喜屋ノロは添石・新垣・泊を担当しています。

問題8

中城村内の古くからある集落(伊集や和宇慶、津覇など)は、ムーチー行事はいつ行うでしょうか?

A

旧暦12月7日

B

旧暦12月9日

C

旧暦12月8日

 

沖縄本島では旧暦12月8日にムーチー行事を行います。しかし、中城村の古くからある伊集や和宇慶、津覇などでは、ムーチーは通常より1日はやい7日です。理由はむかしばなしを見てね!

問題9

中城は戦前、多くの移民を出した移民村として知られましたが、中城村の人が一番多く行った国はどこでしょう?

A

ハワイ

B

南洋

C

アメリカ

 

ハワイは2,169名の中城村の人々が移民に出ました。これは、沖縄県全体の3割の数字です。ちなみに、アメリカは中城村ではじめて移民の人が行った国です。

問題10

中城城跡のアーチ門を別の言葉で何というでしょうか?

A

拱門きょうもん

B

凱旋門がいせんもん

C

いえもん

 

拱門(きょうもん)は別名アーチ門といいます。

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