問題1

中城グスクの拝所を拝んでいたとされる与喜屋ノロ(添石ノロ)は中城村の4つの集落の祈願も任されていました。この中で与喜屋ノロが担当していない集落はどこでしょう?

A

新垣

B

C

屋宜

 

屋宜は屋宜ノロが担当していました。与喜屋ノロは添石・新垣・泊を担当しています。

問題2

さち中城なかぐすく按司あじ護佐丸の中城移封いふうによって移った場所はどこでしょうか?

A

現在の久米島町

B

現在の今帰仁村仲尾次

C

現在の糸満市真栄里

 

さち中城なかぐすく按司あじは護佐丸の中城移封いふうによって兼城かなぐすく間切まぎり(現在の糸満市)に移り、先中城グスク(真栄里グスク)を築きました。

問題3

中城村内の古くからある集落(伊集や和宇慶、津覇など)は、ムーチー行事はいつ行うでしょうか?

A

旧暦12月8日

B

旧暦12月9日

C

旧暦12月7日

 

沖縄本島では旧暦12月8日にムーチー行事を行います。しかし、中城村の古くからある伊集や和宇慶、津覇などでは、ムーチーは通常より1日はやい7日です。理由はむかしばなしを見てね!

問題4

1960年代、中城城跡は中城公園として当時の沖縄県で最大のテーマパークとして多くの人々で賑わいました。1日で最大どれだけの来場客が訪れたのでしょうか?

A

1万人

B

10万人

C

100万人

 

 中城公園は、戦後行楽地こうらくちとしてゴールデンウィークには1日あたり3万人の来場客がありました。とくに1966年5月5日は、ペンギンの登場や「第二回子供中央大会」というイベント等が行われたことから、この日だけで10万人(公園事務所発表)の来場客を記録し、当時の新聞にも大きく取り上げられました。

問題5

ハイネによって18世紀ごろに描かれた

ここはどこでしょう?

A

ターチャー石(新垣)

B

糸蒲(南上原)

C

中城グスク

 

新垣にあるターチャー石は、その奇妙な形から目印として利用されていました。ペリー奥地探検隊の一行は、この奇妙な形の岩に「旗立岩」と名付けました。絵では岩の上に旗を立てている様子と、その下で祝砲を撃っている兵士の姿が描かれています。

問題6

1660年頃に護佐丸の墓が現在の場所に移されました。その理由とは?

A

占いによって墓を移動するようにいわれたため

B

農地開拓によって土砂崩れがおきたため

C

墓が荒らされたため

 

護佐丸の子孫と言われる毛氏もううじ家譜かふ毛姓家譜もうせいかふ』によると、1660年代に護佐丸の墓があった周辺の土地が農地開拓によって土砂崩れが起きそうになった事により、首里王府より現在の土地をたまわったと記されています。

問題7

中城城跡のアーチ門を別の言葉で何というでしょうか?

A

いえもん

B

凱旋門がいせんもん

C

拱門きょうもん

 

拱門(きょうもん)は別名アーチ門といいます。

問題8

新垣では戦前綱引きの後に何が行われていたでしょう?

A

子どもの綱引き

B

ケンカ

C

エイサー

 

新垣では、戦前、綱引きが終わると、エイサーの道ジュネーが行われていたそうです。道ジュネーは各家庭を周り、2日間続いていたそうです。

問題9

次の字名のうち、かつて中城むらと呼ばれていた村はどれでしょう?

A

添石

B

伊舎堂

C

屋宜

 

伊舎堂は17世紀まで「中城村」と呼ばれていました。しかし、王令によって中城の文字の使用が禁止された事により、伊舎堂へと名前を改めました。

問題10

次のうち、中城村内にないグスクはどれ?

A

新垣グスク

B

台グスク

C

大城グスク

 

大城グスクは北中城村にあります。台グスクは字久場にあるグスクです。中城グスクを最初に築いた先中城按司が最初に住んでいたグスクといわれています。新垣グスクは字新垣にあるグスクです。

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